10.11.2014

Ask WHY 2

以前、社の重要な会議で「何を、どうやるか」よりも「何故、やるのか」が重要なのだ、それを意識せよ、と散々言われたと書いた。
さて最近、今度はたいして重要ではない会議でそれに関する話し合いの場があった。そのとき自分は
「『何故、やるのか』なんか意識しないでも、例えば何のためのアプリなのか知らなくても目の前のコーディング上の課題を解きながらコーディングするのはすごく楽しいし良い仕事が出来る」だとか、
「オープンなデスクで隣とワイワイと仕事をするなんて非効率だ、パーティションで区切られた中でイヤホンして没頭するのが最も効率を上げられる」などと主張してみた。
周りには高い理想と目的意識を持ってみんなで協力してこそ良い仕事が出来ると考えている目のキラキラした人達ばかりだったので「何こんな根暗オタクが紛れ込んでんの・・?」みたいな目で見られてしまった。

レンガ積み職人の「レンガを積んでいる」「壁を作っている」「城を建てている」という意識の違いで例えるなら、確かに「城を建てているんだ!」と思いながら仕事をするのも良いかもしれない。しかし本当に綺麗にレンガを積むことが出来るのはそんなこと意識していない、レンガを積むこと自体が楽しい、と思っている職人だと思う。「私は城を建てているです!」という意識の人はきっと外の塀なんか適当にバーっと積んでしまうだろ?
そんなんだからレンガ積みの技術はたいしたことないんだ。結局肝心の城の部分だって綺麗には積めないんだ。あるのは「俺は城を建ててるんだ」という意識の高さだけなんだ。
そして純粋にレンガ積みが好きな職人がその適当に積まれたレンガを綺麗に積み直しているに違いない。

「城だろうが倉庫だろうが犬小屋だろうが関係無いね。レンガを綺麗に積むのは最高に楽しいと思ってるよ。今作ってるもの?城か倉庫か犬小屋のどれかだよ。親方に聞いてよ。」みたいな職人こそが、誰よりもレンガを綺麗に積むと思うな。

ま、時にはプロデューサー、時にはマネージャー、時にはコーダー、とその時々で必要な役割、意識を切り替えられるのが一番良いだろうか。

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